Mk1/35-45

説教要約を浜松元城教会ホームページ、説教:マルコによる福音書1章35-45節でご覧になれます)

「よろしい。清くなれ」

41節をご覧ください。「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。」と書かれています。そして、この人は主イエスのことを宣べ伝えたのでした。

「深く憐れんで」とあります。誰からも顧みられなかった男ですが、主は言いしれぬ同情をお示しになりました。ここに「深く憐れむ」と記されている元の言葉は、興味深いのですが、人の内臓、はらわたを意味する言葉です。お腹に痛みを覚える。そのようなことが、私たちの日常でもあります。それで、古い聖書には「はらわた痛む」とも訳されておりました。
他者への同情のために心を痛める。いや、身体まで、腹まで痛みを覚える。それほど深く、自分自身のように他者を思う。それが「深く憐れむ」という言葉です。

ところが、実は、ここを「イエスはお怒りになって」と記す聖書もあります。「深く憐れんで」ではなくて、「イエスはお怒りになって」としているのです。
古い聖書の写本の中に、憐れみという言葉ではなくて、怒るという言葉に置き換えられているものが少なからずあるからです。そして、そのほうが元々の言葉だったのではないか、と考える聖書の研究者も少なくないのです。
それによると、イエスさまはその人をご覧になって、その人を捉え、あるいは取り囲んでいるものに対して憤りを覚え、お怒りになった。それと戦われたということになります。

当時、主イエスの時代には、重い皮膚病は取り立ててやっかいな病気でした。一つの重い病気であるとともに、それ以上に、宗教的に汚れていると見なされていました。ですから、聖書も、病気が「直る」という言い方をしないで、「清くなる」「きよめられる」という言い方をしています。
そして、それは最悪の病でした。重い皮膚病と訳されていますが、元の言葉は、「うろこ」魚のうろこですね、「うろこ」から来ているそうです。皮膚がくさって、いたるところがうろこのようにはがれ落ちていく。それで、その病にかかった者は「生ける死者」死に捉えられている人、あるいは、「死の初子」死へと向かうために産まれた最初の子、と呼ばれた、と言われています。
ほとんど治る人はいなかったようです。

彼らは、けがれた者、神にのろわれた者ですから、考えられないほどひどい差別を人々から受けていました。
当時の社会を律する規定は、「モーセ律法」という掟にあるのですが、旧約聖書のレビ紀14章に次のように書かれています。
「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、 髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。 汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この病状が あるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿 営の外に住まねばならない。」
当時重い皮膚病の人は、みんなと一緒に町の中に住むことはできませんでした。家族からも切り離されて、町の外で、荒野や砂漠の洞窟に、ひとり暮らすことを余儀なくされていました。
町の外で、人々から残り物をもらって生活していたのではないかと思います。悲惨な状況におかれていたのです。
町は、周囲、東西南北、なんらかの壁に囲まれていたのですが、その中に一歩でも入ることはできませんし、入ってくればみんな石を投げて追い出したのです。
ですから、彼らの不幸は、たんに、当時治療が困難だとされていた病気にかかった、というところにあるだけではなく、ユダヤ社会がその病気に与えた、いわば社会的な意味によって疎外されていたところにありました。そして、その意味を作り出していたのは、宗教的な掟にほかならなかったわけです。

人は、なぜ、人を忌み嫌ったり、差別するのでしょうか。
ある哲学者がロシアの文豪ドストエフスキーを評論して、ドストエフスキーという人は、罪ということを、人格をこわしてしまうこととして捉えている。そして、こわされてしまった、いや自分がこわしてしまった相手の人格が自分の存在の中に入ってきてしまう、それが人間の出会いであって、そこに罪の罰ということを捉えていた、そう書いている文章を読んだことがあります。
人格がこわれてしまう。そして、こわされてしまった相手の人格、いや自分がこわしてしまった相手の人格が自分の存在の中に入ってきてしまう。それを恐れる、というのです。

弱さを持っていたり、病を背負っていたり、汚れていると思われる人、そういう人と出会うことをわたしたちは確かに恐れます。
ことに、自分が清いと思っている人、清くなければならない、そう思っている人は、ことさら、汚れている人を遠ざける、忌み嫌うということがあるかも知れません。
敬虔なユダヤ人は、汚れた人を遠ざけ、自らも遠ざかったのであります。汚れた人にさわると、自分も汚れてしまう。そう信じられていました。

しかし、主イエスはこの人を捉えている病、そして、この人を遠ざけてしまう人間をお怒りになった。そして、深く憐れみ、手を差し伸べてその人に触れて、「よろしい。清くなれ」と言われたのでした。

手を差し伸べてその人に触れた、とうのは、聞き逃してはならない、大切な言葉です。
深い憐れみが、手を差し伸べるという行為となってあらわれている、そう理解することができます。
ある人が、こんなことを言っています。「さわるということは、主イエスにとって、こと男を徹底して受けとめるということを意味したのではないか。癒しの力がこの男の中に入り込む。そして、それは逆に、悪の力をいわば自分に全部吸収しつくし、相手から奪い取ってしまうことも意味した。
主イエスは、この病人と同じ苦しみを自らも引き受けることによって、かえってこの男をお癒しになる。」
マタイによる福音書も、同じ出来事を記していますが、その最後に、イザヤ書53章の言葉を引用して、ここにその言葉が成就したと説明しています。「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負った」。

さて、主イエスは、すぐに立ち去らせようとし、厳しく注意して、だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。とお命じになって、この男を行かせました。
先ほど読みました「レビ記」の14章には、重い皮膚病が治った場合には、祭司に体を見せて、そして証明書をもらってからでなければ、町に入ることはできないというふうに書かれています。
それで主イエスはこの人に、その当時の掟にしたがって、祭司に体を見せにいって、それで治ったという証明書をもらって、家族のところにお帰りなさい。そういっておられるのであります。

ところが、45節をご覧ください。こう書かれています。「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、いい広め始めた。」。
誰にも話してはならない、そう厳しく戒められているのに、そして、やっと町に戻れる、社会に復帰でき、家族のもとに行けるのに、彼はそうしないで、自分の身に起こった出来事を人々に告げ、いい広め始めたというのです。
大きな喜びがこの人にあふれている。主イエスのお言葉に素直に従ってはいないのですが、しかし、そうせざるをえなかったところに、この人の喜びが表現されていると言えましょう。
その結果、主イエスは公然と町に入ることができなくなったと書かれています。主イエスの前に壁が立ちはだかるようになったのです。しかし、主イエスはそのやっかいなことを受けとめておられるようです。そして、マルコ福音書は、この癒された人が、主イエスのことを宣べ伝えたことを、喜ばしく伝えています。

この人は、名前も記されていないのですが、マルコ福音書によりますと、主イエスのことを宣べ伝えるようになった最初の人です。
「大いにこの出来事を人々に告げ」とあります。「告げる」と訳されていますが、「宣べ伝える」という言葉です。後に教会は、福音を伝えるようになりますが、その福音を伝えること、宣教、という言葉です。
また、注意深く調べて見ますと、「この出来事」と訳されているのは、「ことば」ギリシャ語でロゴスという文字が使われています。聖書の中で、印象深い大切な単語の一つです。「神のことば」とか「主の戒め」「神の約束」という意味で用いられています。マルコ福音書においても、何度か出てきますが、「神のことば」あるいは、「主のことば」という意味で用いられていることが圧倒的に多いようです。「出来事」という意味で用いられるのは極めてまれなことです。そうだとすれば、ここでは「彼は大いに神の言葉を宣べ伝えた」と訳しても良いのかも知れません。
彼は自分の身に起こった出来事を伝えたのです。そして、その出来事の中に、神の恵み深い言葉、主のお言葉を聞き取っており、その言葉を伝えた。そう理解することができます。

マルコ福音書は、さらに言葉を重ねて、「いい広め始めた」と記しています。「いい広める」というのは、実は珍しい言葉なのですが、人々の間を縫うようにしてあちこちに言い伝える、という意味です。会う人会う人に話す、その言葉は縫うようにして、人々の間に広まっていく。
喜ばしい言葉、神の言葉、福音を、この人は伝えたのであります。無名の人ですが、最初に福音を伝えた人でありました。

一冊の本をご紹介したいと思います。「人の望みの喜びを」という小さな書物です。小塩節という人がお書きになりました。小塩節という名前は、どこかで聞いたことがある、そう思われた方が少なくないのではないでしょうか。長く、NHKでドイツ語の講座を担当しておられた方です。少し、小太りといいましょうか、がっちりした身体から、低い声で、そして、ちょっとこもった声で、グテン・タークと言ってドイツ語を教えておられた方です。
楽しい、愉快な本でした。
この方は牧師の子供です。お父さまは小塩力という、たいへん優れた牧師で、浜松にも所縁のある方です。ご自身もキリスト者です。音楽について、ことに教会音楽について造詣が深く、バルトという神学者が記した「モーツアルト」という小さな書物も翻訳しておられます。
「人の望みの喜びを」というこの書物は、随筆です。自分の置かれた小さな世界の中で考え、思っていることを、日常の次元で書きつづったもの、とご自分で言っておられます。小さいときの思い出、父親のこと、何人かの人との大切な出会い、また、新鮮な経験、音楽のこと、モーツアルトや讃美歌のことなど、自由に書いておられるのです。しかし、それらは、一人のキリスト者、あるいは道をたずね求める求道者として、キリストを証し、神を讃美する文章となっています。
そして、神をほめたたえることば、その言葉が、それえを読む人にとって慰めとなるようにという祈りと願いをもって、この書物を世に出しておられます。

後書きの中で、こんなことを書いておられます。「現代は、ことばと情報が洪水のように溢れているのに、心から発したつもりの言葉が人には伝わらないで、人と人とのあいだの溝や壕におちていき、やがてそれが積もって、かえって「るい壁」のようにうず高くなり、人とのあいだに立ちふさがってしまう時代だ。
そのような荒涼たる寂寥の時代であることは事実だとしても、それでもなお、心の底からの言葉は人の底に届くのだとわたしは信ずるのである。」

言葉が人の間に伝わるとき、人は言葉を裏切り、言葉は人と人とのあいだの溝や壕におちていく。そして、るい壁のようにうず高くなって、人とのあいだに立ちふさがる。よく分かる文章です。
しかし、小塩さんは、なお、ことばを信じ、ことばが人の心の底に届くこと信じる、と言っておられます。
その言葉を、心の底からの言葉、と表現しておられます。魂の底から発せられる、神を讃美する言葉ということだと思います。

重い皮膚病を患っていた人は、人と人との間に、大いなる出来事、ことばを告げ、いい広めました。彼は、高い壁に立ちふさがれて、人の交わりから疎外されていた人です。人が自分について語る言葉、呪ったり、同情したり、さげすんだりと、無理解な言葉をどれほど聞いて来たことでしょうか。しかし、彼は大いに語り伝え、いい広めたのであります。
人々の間を縫うようにしてあちらこちらに伝えられたのであります。

この言葉も、人と人とのあいだの溝や壕におちていき、やがて積もって、るい壁のようにうず高くなるのでしょうか。あるいはそうかも知れません。
しかし、人と人とのあいだにたちふさがる高い壁を打ち壊して、その言葉は伝えられたのであります。
最後の言葉をご覧ください。人々は四方からイエスのところに集まって来た。と記されています。
この人を癒し、この人に届いた言葉を、この人も心の底から語り伝え、心の底からの言葉が人の底に届くのだと信じることができたのだと思います。