10/16の礼拝説教から

「敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、

だれかを食いつくそうと探し回っています。」

(ペトロの手紙一5章9節)

「ほえたける獅子」とは人間の手に負えない強い力のことを言い表しています。人間が立ち向かっていっても食い尽くされてしまう。しかも、ライオンは獲物を捕らえようとするときには茂みに身を隠します。いざという時にはけっして吠え猛ることはありません。そのライオンのように大きな力がある悪魔は、自分を隠し、襲いかかろうとして身を潜めている。

私たちの中にも身を隠し、人間を高慢にしてこれを食い尽くそうというのでありましょう。

「だから、神の力強い御手のもとで自分を低くしなさい」

(ペトロの手紙一5章6節)

私たちは、時として、自分が強くなければならない。困難に立ち向かうために、自分を武装し、心を強くしなければならない、と思うのではないでしょうか。そういう覚悟を、皆、持っています。けれども、ここで教えられることは、必ずしもそうではなくて、むしろ逆のことです。神のみ前に低くへりくだるということです。謙遜ということですね。

謙遜とは神を信頼し、神の前に身を低くすることです。

ある人が、私達人間は、へりくだるということが、とても不得手なのではないかと申しました。そうだと思います。かえって、いつも、自分の分を越えて、人間には与えられていない神ご自身の事柄にまで手を延ばしている。そういう傲慢なところがあるのではないかと言うのです。神が為してくださる。神さまだけがなし得ることなのに、そのことが分からないでいる。心得ないでいる。そうであってはならない。神のみ前に低くへりくだる。神さまに信頼し、委ねよ、と教えています。

「身を慎んで目をさましていなさい。」

(ペトロの手紙一5章8節)

「身を慎んで」とは酒(ワイン)に酔わないということです。目の前の現実から目をそらさない。のんきに酔いしれたり、お酒に逃げ込んだりしないということです。「目を覚まして」とは、夜の闇の中で朝を待ち、朝を迎える用意を調えて眠る人のように、救いのおとずれを信じて待つということです。

そのようにして「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」と教えています。