10/30の主日礼拝説教より

「だから、こう祈りなさい。」

(マタイによる福音書6章9節)

主が祈りの言葉をお教えくださいました。

人間の誰かが、こんなふうに祈ったらよいのではないか、こう祈ったら神様は喜んで下さるのではないかと考えて、言葉を整えたのではありません。神の独り子であられる主イエスが「こう祈りなさい」とお教えくださいました。

私たちが、神様のことをどのように考え、思い、どのように関係を持とうとするのかということではありません。神様が、私たちのことをどのように思い、どのような関係を持とうとしてくださっているのか、まず、そのことをが示されます。そして、祈りへと招いてくださいます。

「天におられるわたしたちの父よ」

(マタイによる福音書6章9節)

父なき世界がこの地上を襲っています。私たちが実感しているこの世の姿です。主イエスが地上に歩まれた、その時代も例外ではなかったはずです。

しかし、主イエスは、「天におられるわたしたちの父よ」と神を呼び、神無き世界に、しかし、神と共にあり、共に生きることへと招いておられます。

『この世の全ての事ども、良いことも悪いことも、災いも祝福されたことも、

その御手の内に置かれる父なる神さま・・・』

(ナグネ宣教師の翻訳によるセムナン教会における祈り)

東日本大震災がおこると、全世界の教会が祈りをささげてくださいました。お隣の教会ではこのような祈りがささげられました。

「この世の全ての事ども、良いことも悪いことも、災いも祝福されたことも、その御手の内に置かれる父なる神さま、日本の歴史上最大の地震と、その後に続いた津波によって悲嘆に暮れているかの地の人々を、父よ、どうぞあなたが慰めてください。そしてその傷を癒してください。日本における大地震を目にしながら、あなたの真のみ心とご計画がどこにあるのか、深く思いめぐらす私たちとならせてください。・・・」

共に、「天にましますわれらの父よ」と祈りつつ、歩んでまいりましょう。その祈りに生きるものでありましょう。そのような思いとともに祈られていると感じました。


主の祈りによって、天の父に結ばれて、

わたしたちの一日一日が信仰の歩みへと導かれます。