11/6の主日礼拝説教から

「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」

(フィリピの信徒への手紙3章20節)

口語訳聖書では「わたしたちの国籍」です。いずれにしても、よく知られており、心に留まっている御言葉です。

地上の生涯は死をもって終わります。しかし、わたしたちの命の消息はそれで終わったわけではありません。わたくしたちの消息は主イエス・キリストにあるからです。この御言葉から、すでに地上の生活を終えた愛する兄弟姉妹が、神さまの力強いあわれみの御手の内に取り上げられ、平安のうちにあることを教えられます。

同時に、この御言葉は・・・・

わたしたちに先立って召された兄弟姉妹についてだけ語っているのではなくて、今生きているわたしたちについても語っています。すでに今、わたしたちは、生きるにしても死ぬにしても、国籍を天に持っている、天上の市民であるとみなされているということです。

当時、ローマ直轄の植民地であったフィリピには、本国であるローマに熱い思いを持ち、遠く離れてはいてもわれわれはローマの市民である。その誇りと、自由をもって、生きていた人々が多くいました。不便なこと、苦労の多いことが多々あったとしても、いつかは本国に帰るのだという思いを抱きながら、ローマにいる人々と同じような生活、同じような生き方をできるかぎりしたい、本国の生活様式にそうような営みでありたい、そのような願いのもとにいたというのです。

私たちがいつも心に留め、思いを向けているところ、思いを行き来させているところ、それによって、今、ここで望に生きることができる、それが本国です。もちろん、聖書が語っているのはローマのことではありません。「天」です。「天の御国」です。

「そこから、救い主、主イエス・キリストのこられるのを、

わたしたちは待ち望んでいます。」

(フィリピの信徒への手紙3章21節)

その時、キリストは、一切のこと、地上にあっては暗くなり、もつれきっている一切のことを、すべて正しい状態に変えられる。このイエス・キリストの内に、わたしたちの命の消息がある。わたしたちの生きること、わたしたちの実存すべてが、この地上にあるわたしたちの身と魂のすべてが、この方の御手によって抱かれている。そう語られています。