11/13の礼拝説教から

神さまはその名を聖とされる方です

神は神であられます。
そしてその名をもって私たちの神でいてくださいます。
私たちと共にいてご自分の思いを実現される方です。

「御名をあがめさせたまえ」

礼拝式文

ハイデルベルグ信仰問答書に次のように教えられています。
「御名を崇めさせたまえとの祈りは、第一に、神が正しく知られ、その全能と知恵と慈しみと義と憐れみと真実によって、神が聖なるものとされ、たたえられるように、と祈り願うのです。次に、神の名が、われわれのゆえに、汚されることなく、かえって、崇められ、ほめたたえらえるに至るように、われわれの、全生活、思想、言語、働きを、そのことに向けてください、と祈り願うということあります。」

「あがめる」という言葉に相当する旧約聖書のヘブル語はヤーダーという言葉です。それは、「讃美する」「誉め讃える」「(罪を)告白する」という意味があります。すなわち、神の御名を崇めるということは、神を讃美し、罪を告白して栄光を神に帰するということになりましょう。
それで、「御名をあがめさせたまえ」という祈りは、キリスト者の祈りの結晶であると言われています。

「御名が崇められますように」

ルカによる福音書11章2節

全世界・全被造物がいつの日か神を崇めることとなりますように。そのような願いと祈りとが、重ねられます。

マタイによる福音書5章13節に、「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」とお語りになった主のお言葉が記されています。「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」、そう主は仰せになりました。

「立派な行い」とは神の光に照らされて生きる喜ばしさ、麗しさのことです。光のもとに身を寄せて歩み、神の救いに与り、神の恵みによって生きるということです。

星野富弘さん、ニセアカシアによせて

「何のために
生きているのだろう
何を喜びにしたら
よいのだろう これからどうなるのだろう
その時、私の横に
あなたが一枝の花を置いてくれた
力をぬいて重みのままに咲いている
美しい花なのだ」