11/20の礼拝説教から

主イエスは
「御国がきますように」
「御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。」
と祈るようにお教えになりました。

マタイによる福音書6章10節

神の国は、地上にある国家の一つとして、それらと並び立つという意味での「国」では勿論ありません。また、「理想郷」「ユートピア」というのでもありません。ユートピアというのは、本来は「あり得ない場所」という意味だそうです。けれども、神の国は、人間が追い求める理想を語っているのでもありません。
その国というのは、「治める」「支配する」という言葉が用いられています。神が治めてくださっている。すなわち、神さまの良き御心が行われ、神さまの主権・意志・義・知恵・力・愛のもとにあるということです。


「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

マルコによる福音書1章14節

主イエスの最初のお言葉です。「近づいた」とは「来た」ということです。到達済み。もうここに来てしまっているという意味では必ずしもありません。関係が生まれたということです。

駅のプラットホームで汽車を待つ人は、遠くに汽車が見えると、「汽車が来た」と言って、汽車に乗る準備をはじめます。ベンチに座っていた人は立ち上がり、新聞を読んでいた人はそれをたたみ、汽車を待つ人の列に並びます。そのように、それ以前とは違う、はっきりした関係が生じます。その時、汽車が来た、と言って待つのであります。
待つのです。しかし、来たのです。来たので、いっそうそれを待つのです。

ですから、主イエスは
「御国をきたらせたまえ」
「み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」
と祈るように。その祈りとともに生きるようにとお教えになりました。


「わたしやすべての人々が自分自身の思いを捨て去り、ただあなたの善きみこころにのみ、何一つ言い逆らうことなく聞き従えるようにしてください」

『ハイデルベルク信仰問答』

自分自身の思いを捨て去る、ということなしに、この祈りを祈ることはできない。そう解説しています。そうだと思います。
それだけに、この祈りの言葉には、私たちの思いを越えた豊かな慰めと、祝福とが湛えられているのだと思います。