12/11礼拝説教より

第6の祈りです。
「われらを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」

マタイによる福音書6章13節

新共同訳聖書は「わたしたちを誘惑にあわせず、悪い者から救ってください。」と翻訳しています。

試みも誘惑も同じことです。悪と悪い者は少し違いますが、元の言葉はどちらにも翻訳可能な言葉のようです。 悪い者が悪へと誘います。その誘いに対して人は無力です。ですから、悪から、悪い者から救ってください。そう祈るように、主イエスはお教えくださいました。


私たちは日々の生活で、善きことと悪しきこととを識別し、善きことを選びとりたいと願っています。

ところが、悪い者が立ちはだかります。それは、他の人であったり、自分自身であったりもいたします。善きことを選び取りたいと願っているのですが、そうはさせてくれない
それでも、なんとか仕切り直しをして、善き歩み、善きことを心がけようとする。 そんな日々を、私どもは過ごしているのではないかと思います。主の祈りの中で、そのような私たちの日々の歩みが覚えられていることは確かなことでありましょう。
私たちの信仰の生活が、神の国を待ち望みつつ、神の国へと向かう歩みとなるように。神の御心に適うようにとの願いが、この祈りに込められているに違いありません。


そうではありますが、ここで悪と言っておりますことは神の恵みのもとから離れてしまうということです。

詩編23編に、「主はわたしを正しい道へと導かれる」とありますが。その正しい道とは、神の恵みを悟ることのできる道ということです。その正しい道から離れてしまう。引き離されてしまう。それが悪、悪しきことです。その誘い、試みに対して、私たちはまことに弱く、愚かです。

この祈りは、決して勇ましい祈りの言葉ではありません。
確かに、主の祈りのこの言葉は、誘惑に果敢に立ち向かうという、意気込んだところはありません。むしろ、無力な自分ゆえに、ただ神さまが誘惑から守ってくださること、いや、誘惑に遭わせないでくださいと、懸命に訴える、そのような祈りです。主イエス・キリストは、私たちの傲慢と弱さとを、よくご存知なのだと思います。時に、勇ましく、果敢に誘惑に立ち向かう、そのようなこともあるかも知れない。いや、日々の信仰の生活は、そのような戦いの日々だと言ってよいでありましょう。しかし、その戦い、その私たちの姿の中にも潜む、私たちの弱さや傲慢を主は良く知っていてくださるのだと思います。
それで、「わたしたちを誘惑に遭わせないでください」という、この祈りの言葉をお与えくださったのでありましょう。