12/25礼拝説教より

「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」

ルカによる福音書2章7節

飼い葉桶のキリスト、それは、夜羊の番をしていた羊飼いたちに現れた天使によると、「あなたがたへのしるし」だ、と言われます。


そこは家畜小屋、あるいは、家畜をつないでおく洞穴です。
誰もそのようなところで生まれたくはないでしょう。しかし、そこが主イエスの誕生の場所でありました。そして、飼い葉桶に眠る幼子こそ、救い主のしるし、だというのです。

人となられた神の御子の「貧しさ」「低さ」が示されます。ただ単なる貧しさ、低さではありません。徹底した貧しさであり、低さです。ここに、不思議な神さまの御心、愛と恵みとが示されました。


二重の仕方で

飼い葉桶に眠る幼子キリストの貧しさと低さとが、それを包むように二重の仕方で、描き出されています。
一つは、ベツレヘムの宿屋には泊まる場所がなかったと、伝えることによってです。
もう一つは、皇帝アウグストゥスの名を記すことによってです。

フィリピの信徒への手紙の中に初代キリスト教会で歌われたと思われる讃美歌の一節が伝えられています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分となり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」

クリスマスの出来事、神の子の誕生そのものが、このへりくだり、徹底して低くなってくださったこと、貧しい者となられた、ということを表しています。


人間の生と死に参与された

ただ参与されたのではありません。極限の場所に、身を置いてくださって、人間の罪や罪過の結果を代わって負ってくださいました。

それによって、わたくしたちの地上の人生、わたしたちの生きることと死ぬこととは、主がその愛のゆえに、おいでくださった人生となりました。主が受け入れ、生きてくださる人生となりました。それが、どのような人生であろうと、わたくしたちがどんなに深刻な罪人であろうと、わたくしたちは赦され、わたくしたちの人生は主によって受け入れられ、主がその愛のゆえに来てくださった人生となりました。

そして、この世界もまた、ひとつのしるしのもとに存在します。まことの王を迎えている、しかも、飼い葉桶の中に迎えたということです。

コリントの第二の手紙8章9節に、このようなみ言葉が記されています。「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」

主イエス・キリストの貧しさが、わたくしたちの豊かさとなった、と語っています。わたしたちの貧しさの中にも、不思議な神の貧しさが加えられて、あふれるばかりの豊かさとなった。